再建について思う

もうすぐ乳ガンの術後1年が経とうとしています。

この1年は、「再発転移の防止に努める!」と決めて、受けられる治療は受けてきました。

ここにきて、一段落…そうなるとやっぱり「再建はどうしよう。」と、思うようになりました。

告知されて、それからは検査・検査の日々で、ショックも消えないうちに、決断しなければならないことが次々と。

普段、健康なときから、「ガンになったらどこの病院で、どんな治療を受けるか」なんて考えている人なんて、ほとんどいませんよね。

家族や周囲にガンを患った人がいる場合は別として…。

本当に短時間で、大事なことを決めなくてはならないのです。

それも、大変なショックとストレスのなかで。

あの時けっこう病期も進んでいたので、「とにかく手術をベストな状態で受ける。」というのが最優先事項で、再建は二の次でした。

術前抗がん剤だったので、その結果によって最終的な手術方法の決定をすることになっていたので、主治医とも再建の話にはなりませんでした。

今、思えばもうちょっとつっこんで聞いてもよかったかな、と思います。

同時再建がムリな病状だったからそういう提案がなかったのか、病院の都合(例えばスケジュール)なのか、はたまた落ち着いてからゆっくり考えてもいいとの判断なのか。

おそらく、こちらから聞かないと、そういう提案はしない方針なんだと思いますが。患者さんの価値観もいろいろですからね。

きっと病院によっても違うのだと思います。同時再建が得意な病院もあるようです。

もちろん、病状によっては同時再建が不可能ということもあると思いますし、一番大事なのは「取り残しのない手術」です。

外科医の腕も確かで(病理もきちんとしてて)、形成外科医の腕もいい…そして両者の連携がよければいいですね。

同時再建にこだわる必要はないのかもしれませんが、もう一回手術の回数が増えてしまう、というのがどうもしんどいというか、体の負担も大きいのではないかと思うのです。

これから病院を決める…という方がいらしたら、精神的につらい状況でしょうが、できるだけ冷静に、そういったことも考慮されたら…と老婆心ながら思います。

画像はアイスの「ピノ」。

お花の形のが入ってました。初めて。「当たり」?

後遺症

去年の10月に全摘手術+リンパ廓清をして、半年以上が経った。

術後2ヶ月くらいは、腋から腕がつっぱるように痛くて、自由に動かなかった。

痛みがひいて、以前からやっていたヨガを再開。

最初は、友人のヨガインストラクターがアレンジしてくれた、腕に負担がかからないポーズをとっていた。

かなり回復して、もう、大丈夫かな〜と、以前やっていたアシュタンガヨガの練習を、先日から始めた。

アシュタンガヨガはパワーヨガの原型になったヨガで、ポーズからポーズが連続していて流れるように進む。

腕立て伏せのようなポーズが、あいだあいだに入る。

これがこのヨガの特徴で、面白いところなのだけれど、けっこうハードなのだ。

てきめんに、翌日から腋からうでにかけてが、固くなったようになり、痛みだしてしまった。

手術直後と同じようなかんじだ。

実は、術後3ヶ月くらいでヨガしてみたときも、同じような痛みがあった。

大学病院で聞くと、

「筋肉痛ではないか。していけない運動はない。」

と、言われた。

でも、たしか重いものはもってはいけなかったはず…。

腕で体重を支えたのがまずかったのだろうか?

リンパ浮腫になったら困るなあ。

もう、アシュタンガヨガはできないかもしれないな、と思った。

リンパ浮腫は一度なると、なかなか治らないという。

せっかく数年続けてきたのに…と思うと残念でならない。

なんらかのヨガは続けていくと思うが、エネルギッシュなアシュタンガヨガが好きだった。

でも、あきらめなくては。と、いうか

今までと同じ自分ではない、ということを、認めなくてはならない。

固執していると、辛いだけだ。

ヨガというのはアサナ(ポーズ)だけをいうのではない。

アサナはヨガの一部にすぎない。

そのことをアタマでは分かっていたのだけれど、ここにきて、そこのところを学びなさいと言われているような気がする。

アサナに固執していたのでは、ただのエクササイズになってしまう。

それにしても、がんになって、色々なものを捨てて、あきらめるというか…執着しないようにすることを余儀なくされている。

まずは、乳房という肉体の一部。

ホルモン治療をしているので、生理も止まり、肌のハリがなくなった。

体型もかわってきた気がする。

女性としての健康美、みたいなものは、正直、以前と同じにはならないだろう。

そして、高額な治療費。お金で生存率を買っている…ような気にさえなる。

お金を惜しんでる場合じゃないので、お金に対する感覚も以前とは変わってきた。

時間の感覚も変わってしまった。

自分にどれだけの時間があるか分からないと思うと、その時間をどう使うかということを真剣に考える。

時間に関しては、逆に執着が強くなったのだろうか。

でも、これはなにもがん患者に限ったことではなくて、「老い」というものは、そうしたものなのかもしれない。

色々なものへの執着を捨てていく過程。あの世に持って行けるのは思い出だけなのだから。

がんによって早まっただけのことかもしれない。

それにしても、リンパ浮腫の講習会に行ったほうがよさそうだなあ。

これは腕に負担がかかりすぎておきたことなのか?

それとも、回復の過程でおきる筋肉痛のようなものなのだろうか?

手術前後3

手術の翌日の朝食は、おかゆだった。

帝王切開の後は、数日食べられず、しかもスタートは重湯だったので、

「もう、食べられちゃうんだ〜♪」

と、ありがたかった。昼からは、ほぼ普通食。そして、その後は

「こんなに食べてたら、絶対太る!!」

という量になった。後で看護士さんに聞いたところ、個室だとちょっといい食事になるらしい。(そんな差別があったのね…)

「全部食べてたら多いと思うから、無理しないで残してくださいね。」

と、言われた。3時にはおやつまで出る。昔は「病院の食事」といえば、さみし〜感じだったけど、変わったもんです。秋だったので、松茸ごはんにお吸い物なども出た。

午前中には、点滴や尿道カテーテルが抜かれた。

尿道カテーテルを抜かれるときは、

「力を抜いて〜」

と、言われて、せーの!はい!って感じで引っ張られる。

膀胱の中で、バルーンのようなものが膨らんでいるのか、

「スッポーン!!」

と、飛び出てきた。

「どわああああ!」

そんな大きなものを、にょ、尿道から引っぱり出したわけ??と、しばしショックを受ける。

ま、でもほんの一瞬の出来事です。こういうことを躊躇せずにできるって、看護士さんって、すごいなあ。私にはムリ…。

さて、心電図や血圧計、点滴、カテーテルと、手術室から帰ってくるときにいっぱいついていたものは、これで、あとはドレーンだけに。

これは術後に傷の周辺にたまるリンパ液や血液を出すためのもの。

脇の下からチューブがのびていて、先にパウチがついていて、そこに溜める。

この液が少なくなると、退院できる。

そのパウチを小さなポシェットに入れて、肩から下げておく。

これで、晴れて自由の身だ。もう、歩き回ってもいい。

あんまり動きすぎても、ドレーンの量が増えてしまうけれど、入院中に足が弱りそうなので、1階から8階の病室まで階段を上ったり、降りたりしていた。

4階には売店があったので、うろうろ…。

しつこいようですが、帝王切開のときは、体の向きを変えるのも、すぐにはできず、起きて歩くまでにも数日待たなければならなかった。

開腹手術とは、ずいぶん違うんだなー、と驚くことばかり。

家族もびっくりしていた。

手術跡は、今は手術用のボンドというもので接着するらしく、縫い目というものもない。

帝王切開のときは、ばっちんばっちんとホチキスのようなもので止められていて、傷の幅もけっこうあって、赤くて痛々しい感じだった。(今は全く分からないくらいきれいです)

今回はそんなことはなくて、すーっと切った跡が残っているくらい。

リンパ廓清をしたために、左脇の下から胸の中央に向かって斜めに走っている。

ボンド、すごい!!くっついちゃうんだ…。

お腹を切った場合には、引っぱられることを考慮して、少し幅に余裕をもたせて縫うから傷に幅ができる、と読んだことがある。

時代の違いによる技術の進歩もあるだろうけれど、手術部位の違いということもあるのだろう。

毎朝、手術跡をチェックしてくれるのだが、消毒もしない。

今は、そういうことらしい。イソジンで消毒は??っていうのは古いらしい。

拍子抜けするくらい、なにもしないのだ。

実は、入院中、傷をなかなかみられなかった。

が、勇気を出して見たら、細い線が一本入ってるだけ。

もっとグロイのを想像していた。すごいなあ、今の手術って。

胸じたいは、脂肪が残っているところ、そうでないところがあって、ぼこぼこしている。

そのうち落ち着いて、たいらになるそうだ。

乳首がないのがなんとも間抜けなかんじだが、乳首の端っこの色は、傷にそって少し残っている。

1センチから2センチの幅で、皮膚を乳首ごと切り取って開けたということだろう。

ダンナさんは手術直後に、切り取った私の患部をみたらしい。

「なんか、よく分からなかったけど、夕飯は食べられなかった。」

と、言っていた。

この3週間後には、彼が盲腸で入院。私は彼の切り取った盲腸を見たので、お互いに自分の見たことのない内蔵を見せあったことになる。

「健やかなるときも、病めるときも」っていいますもんね。

さて、あとはレントゲンを1回とった以外は、とりたてて何事もなく、ご飯を食べて、テレビをみて…という生活。

持ってきた本も読み終わってしまい、退屈になってしまった。

乳がん先輩の知人がお見舞いに、よしながふみの「大奥」1巻から5巻までを持ってきてくれた。

お見舞いにマンガ??と不思議な感じがしたけれど、これが大ヒット。

「大奥」は初めて読んだのだが、退屈しのぎには最高だった。さすが手塚治虫漫画賞を受賞しただけのことはある。

ダンナさんも盲腸で入院したときに、本もテレビも飽きてしまい、「雑誌買ってきて欲しかった〜」と、言っていた。

手術直後は気力もイマイチで、難しい内容の本や、集中力の要るものは読む気にならないし、けっこうゲームも飽きてしまう。

実はiPhonenにゲームをダウンロードして行ったのだけれど、ほとんどしなかった。

お見舞いには、気軽に読める雑誌やコミックをおすすめします。

そして、入院後半にはリンパマッサージやリハビリ、下着の説明を看護士さんから受けた。

リンパ廓清した方の腕は、痛くて上げられなかった。

これを、退院までには肩まで上げられるようにする。

そして、退院後は徐々に耳の後ろまで。

これも個人差があるだろうが、けっこう痛かった。

痛みが引くまでに、2ヶ月近くかかった。

退院後、1ヶ月で主治医に診てもらった時には、脇から手首までがつっぱるように痛くて、肩と耳の真ん中くらいまでしか上がらなかった。

主治医のセンセは

「あれー!?ぜんぜんダメじゃん!!」

と、言って、私の腕をつかんで無理矢理耳のうしろまで引っぱった。

人生で、こんなに痛い思いをしたのは初めてだった。思わず、蹴っ飛ばしそうになってしまった。

「怖がってちゃだめ。腕が上がらなくなるから。このくらいやってもいいの。」

だそうです。

が、その後、ますます痛くなってしまい、痛みが治まるのを少し待ってから、リハビリ再開。現在は無事に動いている。

ドレーンの量も順調に減って、入院6日目には退院することになった。

まさに三食昼寝、テレビ、おやつ付きの生活に慣れ始めてしまっていたころだった。(まずい、まずい)

手術前後2

手術の時に「いやだな〜」と、過去の経験から思っていたのは、麻酔と尿道カテーテル(尿を出す管を尿道にさしこむ)だ。

帝王切開の時は脊椎に麻酔を注射する半身麻酔で、子供が出たら、意識がなくなる薬を点滴から入れられた。

この薬がクセもので、入れたとたんにものすごい幻覚が襲ってきた。

バッドトリップというものだった。

不安、緊張が映像になって脳裏に展開されて、それは凄まじいものだった。

キングクリムゾンのレコードジャケットさながらの…(古っ)

幻覚と分かっているからいいものの、もしも薬物中毒で、現実と区別がつかずにこんなのを見ていたら、暴れるだろう。

眠りに落ちた後はだいぶ治まって、幻聴と軽い幻覚だけになった。

誰もいない部屋のなかで、ひそひそ声がずっとしていたり、天井と壁のつなぎ目から虫がたくさん這い出してきたり…。

手術跡の痛みは、小人がワイヤーでぐるぐる巻きにして、お腹をちぎろうとしている幻覚になった。

おっと、幻覚の話に夢中になってしまった。あんまりすごかったので。

ともかく、幻覚は疲れるので、いやだなあと思い、その事を麻酔医に話すと、確かにその薬は数年前まで使われていたが、そういう報告が多く、評判が悪かったらしい。

現在は使われていないということだった。ほっ。

手術当日は朝から点滴のラインを確保して、準備。

いよいよ時間がくると、その点滴を自分でゴロゴロひっぱって、看護婦さんとエレベーターに乗り、手術室まで移動。

ダンナさんとは、エレベーターの前でお別れだった。

この数週間後のダンナさんの盲腸の手術でもそうなのだけど、よくテレビで手術室中ってライトのついたドアの前で、患者さんの家族が沈痛な面持ちで待っている…というのは、ないんですね。

だいたいお部屋で待機だったりする。

手術室の手前の準備室みたいな所で、術着に着替えて、紙のシャワーキャップのような形の防止をかぶる。

ここらで尿道カテーテルされるのかなと思ったら、麻酔をかけて、意識がなくなってから入れるという。

ちょっと嬉しかった。これは、意識があるときにやられると、痛い。

そして、また歩いて手術室へ移動。

おお、思ったよりだだっぴろくて、寒い。

よっこらしょっと、手術台に横になる。

麻酔の先生や看護士さん達が準備を始める。

少し離れた所に、主治医で執刀医の先生と、助手をする先生達がかたまって、待っているあいだに世間話をしている。

ん?音楽がかかってる。これは、ハワイアン??

「そう。ぼくのiPod。ハワイにでも行ってる気分になってもらおうと思って。」

と、主治医先生。

分かりました。んじゃ、今私を照らしている無影灯をハワイの太陽だと思う事にします。

「麻酔入れます。」

知人に、麻酔が入ってから「サザエさん」のテーマをどこまで(アタマのなかで)歌えるか、試してみて!と、言われていたのだが、「おさかな」の「お」も歌わないうちに、次の瞬間、意識はなくなっていた。

知人は「はだしで」のあたりまで、歌えたという…。

次に意識が戻った時には、回復室での3時間も過ぎ、病室に戻るところだった。

ほんとに一瞬のような、ワープしたような。眠っていたのとも違う感覚だった。

「え?これから?それとも終わった?」と、混乱した。

とにかく寒くて、ガタガタ震えていた。

帝王切開のときもそうだったような。

看護婦さんが電気毛布をかけてくれた。

気管挿入されていたため「のど」が、とてもいたくて、声がかすれてしまっている。

この、麻酔からさめていく感じが、なんともいえず、嫌いだ。

仮死状態から覚めてくるというか…。死の淵から這い上がってくるような、疲労感。

つい、だるくて、せっかく付き添ってくれているダンナさんにも、つっけんどんな物言いになってしまう。

すみませんね。これは、麻酔のせいなんです。これから付き添う方も、許してあげてください。

さて、傷はというと、思いの他、全く痛くない。全然痛くない。

リンパ廓清した腋はちょっと違和感がある。

痛み止めが効いているせいもあったのだろうけど、その後、痛み止めの服用が終わっても、胸が痛くなることはなかった。

その晩は、経過をみる担当の医師や看護士さんが頻回に病室にきた。

夜には主治医と麻酔医も、きた。

胸が痛くなくて驚いたことを話すと、神経をとっているせいもあるし、お腹を切る手術ほどは痛くないのだという。

同時再建で、エキスパンダーといわれるバッグを胸筋の下に入れると、術後は痛いようだけれど。

ベッドの上半身の角度を少し上げて寝ると楽だよ、といって、主治医は調節してくれた。

よく、術後に寝ている時に腰が痛かった、という方がいるけれど、角度を変えておくといいですね。

術後に最も不快だったのは、エコノミークラス症候群を防ぐために装着する、足のマッサージ装置だ。

「プシュー!プシュー!」と、音をたてて、広がったり縮んだりするのだが、これのおかげで熟睡できない。

足がかゆくなる。

おまけに、その下にはく弾性ストッキングというものの履き方を間違えてしまい、

変に圧迫されて、痛くなってしまった。

マッサージ機はけっこう長い時間(一晩くらいだったかな)つけてなければならない。

評判悪いです、これ。でも、しょうがない。

お水は、術後3時間で飲めるようになるので、有り難かった。

内蔵を切るような手術だと、なかなか飲ませてもらえない。

とにかく、思ったより痛くなくて、驚いてしまった。

続く…

フォロー

Get every new post delivered to your Inbox.